ダンディな人 no.3
こんにちわ、朱龍です。
今回も引き続き、私が出会った「ダンディな人」
の話をさせて頂きます。
「ダンディ」と思うのは、人それぞれの感性でしょうが、
今回の方は、女性なら誰でもうなずけるような素敵な男性です。
繊細かつ大胆な手際よさ
私が転居して間もない頃、歯痛に苦しみ、とりあえず、
地元出身の友人に一人のお医者様を紹介してもらいました。
「ちょっと遠いけれど、自分の知っている医者の中では
一番と言える名医だよ」と彼はいい、
自分の父親の友人を紹介してくれました。
そこは彼の言う通り、都心からは随分離れてはいましたが、
知多半島(愛知県)の海の近くにある医院で、親子2代で
歯科をされておられました。
お二人ともそれぞれに診察室をもたれているのですが、
やはりそれぞれに熱烈なファン(患者)がおられ、
いついっても満員状態でした。
勿論予約制なのですが、次々に急患がとびこんでくるのです。
誰でもそうかもしれませんが、よい歯医者に出会うのは至難の業です。
その先生、Kさんの治療は、繊細かつ大胆で、
痛みを感じる間もないくらい手際の良いものでした。
とかく口の中は狭く、男性は手そのものが大きいので、
よほど器用でないと、いつもえずいてしまうのです。
ですから治療後は「こんなお医者様がおられるんだ!?」
という驚きさえありました。
Kさんが全国でも著名な名医で、東京や九州、長野から
わざわざ、治療を受けに来られる患者さんも多いということは、
ずいぶん後から知ったことでした。
生涯の「夢」を持つ人
紹介してもらったのが、Kさんの旧知の仲ということもあって
Kさんとは、医者と患者という枠を超えて家族ぐるみで親しく
させて頂きました。
Kさんの職業は歯科医で、それもとても優秀な方でしたが、
Kさんが生涯、熱情をもって取り組まれていたのは
ヨットでした。
私が知り得たのは残念ながら晩年のKさんですが、
Kさんがヨットを始められたのは、昭和の中頃で、
彼が高校生だったころです。
歯科医の勉強と国家試験と、早く海に向かいたいというせきたて
られるような熱情で狂いそうだったとおっしゃっていました。
やっと歯科医になられ、時間を捻出しながらようやくヨットで航海に出られた時は、どんなに嬉しかったことでしょう!
とはいえ、今のように便利な方向指示基盤も電磁波機器もなく、
「生き物としての本能と直観」での航海だったとのこと。
それでも、日本人で初めて単独でヨットで喜望峰に渡られた時は、
大きく全国紙を飾るニュースになったようです。
ヨット仲間の後輩には石原裕次郎など、彼を慕う面々がおられます。
私の知る限りでも、医者の会合と同じくらいヨット仲間との
イベントも大切にしておられ、愛用のヨットで各地に出席されて、
日本のヨット界では無くてはならい人として、実に精力的な日々をこなしておられました。
そんなKさんでしたが、いつも治療の合間をぬっては、
地球儀を回しながら、様々な航海中のアルバムを見せてもらいました。
太平洋、大西洋、インドシナ等世界の海を、羅針盤と星だけをたよりに
帆船を操り、青春の全てをヨットに賭けた熱い話は、人間のロマンとも
いえる魅力的なものでした。
少年の目の輝きと、ときめきと
休日には、ご自分のヨットに招待して頂き、
使い込まれた艶やかな木のテーブルで食事やお茶をしながら、
Kさんのリアルで痛快な航海記を伺いました。
星を頼りに、波音だけが聞こえる真っ暗な海を漂いながら、
「もし、少しでも方向が間違えていたら・・」と
心細くなったけれど、仲間には誰にも言えない話や、
目の前を飛び交うイルカの群れと交感し走りしながら、
見知らぬ陸地に一歩踏み出すときの感慨など・・・・
とりとめのない、けれどキラキラとしたときめきのこもった話をされながら、
「生きているって、素晴らしいと思ったネ」と照れたように
ニコッとされる表情は、とても素敵でした。
夢を持つ男の人は、何時までも少年の輝きのままで、
初々しくかつ、熟成された果実のように魅力的でした。
そのKさんも故人となられ、今は父親そっくりにヨットで
日焼けした息子さんの代になりましたが、私の中のKさんは、
いつまでもみずみずしい青年のように輝かしく生きておられます。
今でもご自宅のパソコンのグーグルで、地球上の見知らぬ地図を
クリックされている姿が目に浮かぶようです。
では次回もまた、「ダンディ」な男性をご紹介させて頂きます。
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