こんにちはアルカスです。いつも大変お世話になっております。いつも当ブログへのご訪問、誠にありがとうございます。今回もどうぞよろしくお願い致します。
私アルカスは西洋占星術を用いて占いをする占い師です。
自分で言うのもなんですが、小難しい事をやっています。西洋占星術、私にはとても難しいです。毎日何某かの占星術に関する本を読んだり訳したり、ブログを読んだり訳したりしています。
自分が生きている間、あるいは目が使える間はそうやって少しでも知識を仕入れたい、そうして当たる占いにちょっとでも、じわっとでも近づきたいと思っています。この歳(58歳)になっても知らない事ばかりです。毎日知る喜びを、占星術は与えてくれます。
昨夜夢を見ました。あまり見るタイプではないんですけど。
夢の中でセファリアル(※Sepharial=19世紀英国の霊能者・占星術師Walter Gorn Oldのペンネーム。1864年3月20日イギリス・ハンズワース生まれ、1929年12月23日イギリス・ホヴ没。アラン・レオと同時代に生き、当時の占星術界を代表する人物だった)先生の授業を受けていました。
ダンブルドア校長みたいな雰囲気のセファリアル老師はニコニコしながら、後ろの席に座っている私に近づき日本語でこう言いました。
セファリアル「水星のイグザルテーションサインは…水瓶座じゃ」
私「えっ?乙女じゃなくて、ですか?…てことは水星は獅子座でフォールするってことすか?」
セファリアル「そういうことになるのう。ふぉっふぉっふぉっ」
私「先生笑ってる場合じゃないす。それは伝統無視です」
セファリアル「はて?古代の賢者はこう伝えておる。惑星のイグザルテーションは個々のドミサイルサインに吉角を作る。故に獅子ドミサイルの太陽はこのサインにトラインする牡羊でイグザルテーションする。蟹ドミサイルの月は蟹にセクスタイルする牡牛がイグザルテーションとなる。双子の水星はトラインする水瓶がイグザルテーション。牡牛の金星はセクスタイルする双魚でイグザルテーション。火星は蠍にセクスタイルする山羊で、木星は双魚にあってトラインする蟹で、山羊の土星はセクスタイルの蠍で、それぞれイグザルテーションとなる。」
私「ん~~なんかその説明苦しいような気もするな~土星は水瓶ドミサイルで天秤からトラインの位置だから、天秤でイグザルテーションでいいんじゃないすか?無理に蠍に持ってこなくとも」
セファリアル「ではなぜプトレマイオスは水星のイグザルトをドミサイルである乙女座にしたのだろう?これを認めると、対角にある双魚座はデトリメント&フォールになり、ここにある水星はマイナスの偏見を生み出すことにならんかな」
私「そこなんすよねえ~プトレマイオスは乙女座に太陽が入る時期は湿度が下がっていく始まりであり、ドライな水星とマッチするので乙女でイグザルテーションすると書いています。またレトリウス・ザ・エジプシャンは7ページで水星は言葉の星であるのに対し、金星は愛の星である、という前提から、愛が優勢となる場所では知識の存在価値は薄まり、逆に議論が戦わされる場所では愛はいらなくなる。よって冷・湿な双魚座では金星のウェットが求められ、水星のドライな理屈は嵌まらない。逆に冷・乾な乙女座では理論家の水星が幅を利かせ、金星は小さくなる一方、って書いてあって、まあ納得した…というかそうですか~って感じですかね」
セファリアル「元々ドミサイルとイグザルテーションはそれぞれ異なる文脈から生み出されてきたサインルーラーの概念で、エッセンシャル・ディグニティという枠内に強引に押し込んだ、みたいな所があるのじゃよ。」
私「あ、それだったら分かるような気がしますね。なるほど両方ルーラーみたいな感じですか」
ここで私は目を覚まし、机に突っ伏して転寝している自分に気づきました。 途中だったブログの翻訳を再開しました。ブログの作者はスティーブン・フォレスト(Steven Forrest 1949年1月6日~)というおそらく「バリバリの」アメリカ現代占星術師です。 彼は昨年、古典占星術への関心を示すブログ記事を出しました。タイトルは「Planetary Exaltations; Planetary Falls」。内容すごく面白いですフォレスト先生はこの中で、セファリアルの水星水瓶イグザルテーション論を支持しています。水瓶に水星のある人達は「永遠に良い生徒であり続け、教えられたことに拘る」良さがあるのに対し、獅子水星は「孤独な真実の道よりも、共感に続く喝采の方を求める」つまり受け狙いに走る傾向があると記しています。
私は17世紀英国において占星術ブームを巻き起こした男、天才占星術師ウィリアム・リリー(William Lilly 1602.5.11-1681.6.09)の著書「クリスチャン・アストロロジー(Christian astrology, 以下CAと略します)」の復刻版を読んで以来、いえその前に、CA復刻版を出した20世紀の占星術師オリビア・バークレー(Olivia Barclay 1919.12.12-2001.4.01)の著書「Horary astrology rediscovered(ホラリー占星術再発見。以下HARと略します)」より、乙女で水星がイグザルテーションし、双魚でフォールするとの考えを学びました。
HARはCAの副読本と言いますか、解説書的な内容となっており、私の場合この本を読まなければCAは全く分からなかったでしょう。2,3ページ眺めてそっと本を閉じ、そのまま本棚の飾りになっていたと思います。私にとってオリビア先生は古典占星術の世界に導いてくれた恩人です。お写真を見るたび拝んでいます。
イグザルテーションサイン、そして対角にあるフォールサインは、上述しました通りプトレマイオス-ウィリアム・リリー直系の教えを信じておりますが、現在水星については水瓶-獅子のラインをより重んじている研究者も少なからずいらっしゃるようです。セファリアル先生が著書「New dictionary of astrology」に記していたドミサイルとイグザルテーション間のアスペクトを理由とする説は興味深いですし、上述したスティーブン・フォレスト先生のような意見も貴重で有難いですし、頷ける部分もあると感じます。
古典占星術の基礎となる各箇所に「理由」や「訳」があるのならば、ぜひ知りたいですし探していきたいと思っています。
続きましてホラリー占星術、質問占星術とも呼ばれる、お客様からの質問を承り、占者がその内容を把握し確認した瞬間の年月日時と場所のチャートより、ご質問にお答えするという古代より伝わる西洋占星術の手法について、CA304ページ17行目から始まる(※Astrology classics社のものを使っています)「結婚」の項を翻訳し、このブログにご訪問いただいている皆様と情報共有したい、という目的でこのブログを続けている訳なのですが、このホラリーチャートを読むにあたりCAの著者リリーはP121より
「Considerations before Judgement(判断前の考慮)」
と題した項でチャートが果たして判断するに適したものであるかどうか、今質問者の心を占めている切実で真剣な動機からの質問なのか、それとも他の興味や好奇心によるものなのか、を観る為のチャートの見方を遺してくれました。
その内訳は前回、前々回と2回にわたってご紹介した
「時間のロードとアセンダントのロードもしくはアセンダントが同じトリプリシティか性質一致か、さもなくば同じ星か」
を筆頭に
「月がサインの最終度数にあるか、特に双子、蠍、山羊にあるか」
「月はヴァイア・コンバスタ(Via combusta)内天秤15度から蠍15度までの間にあるか」
「月はヴォイド・オブ・コース(Void of course)か」
などなど、私が数えた範囲では10種ほどあるのかなと思われます。
リリー先生の考察は20世紀のホラリー占星術師達にも受け継がれ、アイヴィー・ゴールドステイン・ジェイコブスン(Ivy M Goldstein Jacobson 1893-1990)、バーバラ・H・ワタース(Barbara H. Watters 1907~1984)、ジェラルディン・デイビス(Geraldine davis 出生年不明~1962)らの著書にも同様の記述が見られます。
但しリリー先生がConsiderations(考慮)と記しているのに対してジェイコブスン先生はCaution(警告)、ワタース先生やオリビア・バークレー先生はStrictures(制限)という言葉を使っており、中世にあった、チャートを読む前にちょっと立ち止まって考えよう的な、占者側に冷静さと一層の思慮を促す雰囲気が、ともすると近現代では「そのチャートを読んではいけません」ルールのように受け止められている嫌いがあると、現代アメリカの占星術師ライアン・バトラー(Ryhan Butler)は自身のブログ記事「Considerations Before Judgment」の中で述べています。暗い性質を誇張し過ぎて、自由に考える余地を失くしている面はあるかもしれません。
この「Considerations」に大きな影響を与えている13世紀イタリアの占星術師グイド・ボナッティ(Guido Bonatti,Guido Bonatus)が書いた「Anima astrologiae」、これをリリーとその弟子ヘンリー・コーリー(Henry Coley)が英訳した「A Guide for Astrologers」Justus版のものが手元にあります。
リリーはグイド・ボナッティから、影響を受けています。
特にConsiderationsは、前回ご紹介した時間のロードとアセンダントの一致と同様に、今回ご紹介する一文もボナッティ直系の暗示となります。
勿論比重的にも同等クラスと捉えているラディカリティーです。それがCA P122 6行目から17行目
「アセンダントが0度,1度,2度(ショート・アセンション・サイン山羊、水瓶、双魚、牡羊、牡牛、双子上昇ならば特に)であるのなら、質問者がとても若いか、外見的な雰囲気、肌艶、あるいは傷、ほくろの位置などがアセンダントサインの性質と一致していない限り、鑑定に入る事は難しそうです」
「アセンダントが27,28,29度上昇の場合、質問者が上昇度数と同じくらいの歳か、チャートが計算等間違いなくきちんとしたものになっている場合を除き、回答は出し辛そうです。質問者は元々特に聞きたい事も無く来てしまったので、次の瞬間逃げ出しているか、席を立っているでしょう」
リリーはとても浅い度数0,1,2度上昇のホラリー・チャートでは鑑定は難しい
とても深い度数27,28,29度上昇なら、お客は何も聞くことなくすぐに席を立つだろう
って書いてるんです。
ではこの情報のソースとなったボナッティ先生はどのように自書に記しているのでしょうか。
「しかしあなたはこう問いかけるかもしれません。『質問者が偽らざる真心から尋ねてきたのか、それとも私を試すためだけなのか、どうやって判断すればいいのでしょう』
それに対して私は『それは非常に難解で難しい点であり、完璧に見極めることはできない』と答えます。
しかしこれは私がしばしば経験してきたことであり、真実であるとわかったことでもあります。
つまり質問の時間を観察し、その時のアセンダントがひとつのサインの終わりとその次のサインの始まりに非常に近く、両方の間にあるように見えた場合です。」(A Guide for Astrologers P3 7)
ボナッティ先生は具体的に何度から何度、等と書いていません。
「サインの終わりとサインの始まりに近く、両方の間にあるアセンダント」と書いてあるのです。つまりサインの最後半と続くサインの最前半までを一つのゾーンと捉え、ここにアセンダントがあるのなら、質問者は本当の事を言っていない、占者がどれほどのもんか気になって興味本位で来てるのかも、と述べているんです。
なぜこのサインの終わりから次のサインの始まりを、先生は警戒したのでしょうか。
ボナッティ先生が活動していた1200年代のヨーロッパでは、時間を知る装置の技術はまだまだ未発達で信頼できるものではなかったそうです。暦なども甘かった様でショート・アセンションサインのような、1サインの通過が100分を切ってくる快速で巡ってくると、サインの境目辺りにアセンダントカスプが来るのは、当時の占者をかなり迷わせたのではと思われます(※実際ボナッティ先生は、例えば牡羊と牡牛の境目にアセンダントが来ていてどちらにすべきか迷った場合、時間のロードを確認、これが金星ならば牡牛アセンダント、火星ならば牡羊アセンダントとしたそうです)。
よってそのような時間帯、上昇サインの深い度数から次のサインの浅い度数へと転換する際みたいな時に来訪して質問してくる人間は、面倒で怪しい奴だ、とボナッティ先生は経験上からもそのように踏んだ、と思われるのです。
質問者の年齢がどうしたこうした、というのはリリー先生の経験で付け足したのかもしれません。ボナッティ先生はそんな事は書いていません。そもそも「サインの終わりとサインの始まり」としか書いておらず、27度とか2度とか具体的な数字を振ったのはリリー先生の独断です。
アセンダントサインの度数が0,1,2度の場合、その質問はまだ聞くには早く、機が熟していないか、質問者が内容をよく把握できていない。一方27,28,29度の場合、その質問は手遅れ、打つ手なし。
この考えは現在でも多くの術師に広まり、支持されているようです。
勿論ボナッティ先生はそんな事一言も言っていません。リリー先生も言っていません。
誰が言いだしたんでしょうか?
「また質問・回答について何らかの遅さ・早さが推察されるという現代の考え方も根拠がなく、ボナッティの本来の意図を歪めたものです。17世紀、ジョン・パートリッジが『…上昇度数が浅い場合、その問題はまだ占断に適していない…』と最初に提唱したのではないかと思われます。」
この記事を書くに際し、多くの情報を与えてくれたアイルランドの占星術師モーリス・マッカーン(Maurice McCann 1938-2011)のブログ「What’s to Consider?」からの一節です。
中世英国の占星術師ジョン・パートリッジ(John Partridge 1644 – 1714)が著書の中でそう述べたのが広まった模様です。おそらく書いてあるとしたら「Opus Reformatum or Treatise of Astrology in Which the Common Errors of That Art Are Modestly Exposed and Rejected 」のホラリーの項ではないかと思われます。
私は「Sprit of Partridge」(Ballantrae reprint刊)という本を持っていますが、この本はパートリッジ先生が出していたらしい雑誌The spirit of PartridgeにOpus Reformatum第1部をちょこちょこ差し挟んでいくという、何とも意味不明な編集がなされているものでございまして、とりあえずホラリ―についての記載はありません。
Kessingerが出しているOpus Reformatumのリプリント版は持っておりませんので、もしお持ちの方がおられましたら、パートリッジ先生が本当にそう書いているのか、確認していただけたらと思います。
(でもこの人確かプトレマイオスの信者で、ホラリーは「要するにアラビアの妄想」と断じてた人だったんじゃないかなあ…まあいいんですけれども)
本ブログのメイン、CA恋愛の項の翻訳はCA P310 31行目からです。
「婚姻の破棄とその原因について。象徴星同士の光を受け止めている第3の惑星に注目です。もしこの星が土星か木星で、凶星からの凶角に苛まれているか、ケーデントハウスにあるのなら、予定している結婚は現時点では進んでいるかもしれませんが、いずれ断念せざるを得なくなるでしょう。」
コレクション的な状態をイメージしました。二人の星を集める第3の星が凶星にクォドレイト(スクエア)かオポジション、あるいは3,6,9,12ハウスのいずれかにあるのなら、仲人さんの星は最後まで責任を果たさない、という意味のように取りました。
「二人の象徴星の内、より強い方に注目です。その人は婚約解消後、元婚約者より先に結婚するでしょう」
強いと言うのはエッセンシャル・ディグニティ的に強い方、という見方がありますし、アクシデンタル・ディグニティ的に強い、つまりハウス的により良い位置にあるとか、そういう比較も出来そうです。
「結婚を妨げようとする凶星が2ハウスか8ハウスのロードならば、持参金の問題が出てくるでしょう。3ハウスのロードならば兄弟姉妹、4か10ハウスのロードならば両親、このような問題がそれぞれに出てきますし、残りもハウスに関連した問題が起こります」
なるほど。
「もし凶星が二人の象徴星間にあって光を運んでいるのなら、その凶星が表わすものは使者であり、星の性質を語ってあげる事が出来れば、質問者に伝えられます」
ちょっと理解するのが難しい一文です。凶星がトランスレーション・オブ・ライトの橋渡し役になっていると、2人の関係をギクシャクさせるかも、と記しているように読めます。
「夫のもとを去った女性、未亡人となった女性は、月が射手サイン17度から山羊サイン1分の間にあるのなら、決して戻ることも再婚することもできません。」
…これ面白いですねえ。。何ですかね射手サインから山羊0度=射手30度までの間ってことですよね。月がここにあったら女性は復縁も再婚も出来ないと。言い切ってしまいましたが。
「月が山羊サイン1度から12度の間にある時に女性と婚約した者は、結婚前に女性を失うか、6ヶ月以内に死亡するか、生活を送る中で気持ちが離れていくでしょう 」
何だろなんだろと口走ってしまうくらい、変わった暗示が、続けて出てきています。
CAはページの左右の余白に、こちょこちょと注釈を載せています。
で、この二つの暗示についてはこのような説明が加えられています。
「アラビアの言い伝え。他の証明の同意なしでは信用できません」
ま、頭の片隅にでも入れていていただければ、くらいの感じでしょうか。
ありがとうございました。
来月またお会いしましょう。
アルカス