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2018-10-14 11:00 出会いの不思議

      

        出会いの不思議

 

 

こんにちは、朱龍です。

 

地震・集中豪雨・火山噴火・地滑り・液状化現象・・

年の初めに占ったことが次々にあたり、

少しため息まじりの今日この頃です。

 

ところで今回は「出会いの不思議」について自分の体験を

お話させていただきますね。

 

 しゅしゅ

 

 

予期せず訪れる、人生の出会い

 

 

私は関西生まれで、

信心深い京都生まれの祖母の影響下で育ちました。

祖母は、歴代続く宮中のおかかえ絵師の娘でした。

 

今でこそ京都も変わりましたが、

明治生まれの祖母の生活は、

ほぼ365日の行事めいたことも、

季節ごとの食事も仏事も、、

日々の献立さえ決まっていて、

祖母はそれを死ぬまで受け継いだ

毎日を送っていました。

 

勿論、京都中に昔からの付き合いの

お寺さんがいたるところにあり、

幼い私は祖母に連れられて、

お寺の住職さんや、大黒さん(住職の妻)達

との祖母の長話の間、

お寺の本堂や仏像をひとりでやることもなく

ぶらぶらと、でもしっかり拝顔して育ちました。

 

おてら

大人になってルポライターの仕事をしていた時も、

仕事でほぼ全国の神社仏閣を管職の方の説明を受けながら、

取材に訪れました。

また、時には有名な仏師や、

人間国宝の仏師の方の取材も受け持ちました。

 

つまり、この歳になるまで、

たぶん普通のひとよりは多くの、

仏様や観音様、菩薩様、

お不動様・明神様・・にお会いして

きたと思います。

 

私が出会った多くの仏像は、有史から面々と

人間が作り出したとは思えないほどの神々しさや、

この世の情感を超越した姿を具現化して、

あらゆる人間の願いを受け止めてこられました。

 

私も、その荘厳さや、慈愛、

限りない優美さの前には、

こころを動かされ、詠嘆し、

日本人のDNAならではの感情を

持ち続けてきました。

でも、ある意味、この仏像に出会うまでは

「たんに、それまでだった」のかも

しれないと思うのです。

その仏像との出会いは、

なんの兆しすらなく、突然のことでした。

 

 しゅしゅ1

 

何も求めず、願うこともなく

 

富山を含め、

福井、石川は、あるスポンサーとのご縁で

3年以上、1ヵ月に2回以上取材に出かけていました。

 

その日、神社仏閣の取材で訪れたのは

「瑞龍寺」という寺院でした。

 

「瑞龍寺」は、加賀藩の」前田利常が寛文3年に開基した

中国様式の七堂伽藍の曹洞宗のお寺で、

国宝とされています。

本尊は釈迦如来で、

普賢と文殊の三尊が入母屋造り、

一重裳階(もこし)

の仏堂のなかに祀られています。

 

今は,トイレ(東司)の神様として

烏枢沙摩明王像(ウスサマミョウオウ)が

唯一現存するお寺として、

有名になってしまいましたが、

私が訪れた頃は、

屋根の重さ47トンという異例の鉛瓦葺で造られた

前田家の菩提寺としての知識しか

もちあわせていませんでした。

 

そしていつものように、

私は仏堂に足を踏み入れました。

 

その途端の事です。

私を包む空気感が一変したのです。

 

 

当時は今のように修復されていなくて、

堂内は蝋燭の灯りだけで薄暗くにもかかわらず、

中央に並べられた3体の仏像から、

眩しくて目が開いていられないような

膨大な光量を感じたのです。

 

時期は、真冬。

 冬11

 

仏殿の外は、

真っ白な雪が膝以上積もっていました。

 

なのに、堂内は、ことのほか温かいのです。

私は母の胎内にいるような、たとえようもない

ビロードのように柔らかな感触に包まれました。

 

幸い一人での取材だったため、

私は土間床にそのまま座り込み、

気が付けば、

おいおいと滂沱のように涙を流しつづけていました。

 

その間、自覚というものが欠落していて、約2時間、

人生のなかで初めて、神仏というものの有難さに

身動き一つできず、法悦のなかで、全身の力が抜け、

神仏の存在を全身で甘受していました。

 

何の望まず、何も願わず、

その必要も感じない時がながれました。

 

今、ここにある事の、有難さ

 

かんがえてみれば、本当にふしぎな体験でした。

その頃の私の毎日の生活は多忙を極め、

仕事への野心・両親や祖母との確執・

もつれた家族との関係・・・

苦しくてあえいでいるのに、

泣くこともわすれたような

あわただしい生活でした。

 

そういう状況だったからなのか、

またはその仏と特別な縁があったからなのか・・

 

あれだけ今まで多くの仏像に会いながら、

「瑞龍寺」の時のような現実を超越した感覚に

包まれたことはこれまで、一度もなかったのです。

 

 

じょしじょし

 

 

だからこそ「出会いは不思議なもの」と本当に思います。

 

「瑞龍寺」の国宝の価値は、

伽藍や建造物が近世でも一流の名工

である山上善右衛門なる名匠によるところが多く、

仏像自体は、古くに海に流れ着いた

中国明代ころのものとされています。

 

そんな、なにもかもが不確かな仏様ゆえに、

ぬきさしならないご縁を

より深く感じるのかもしれません。

 

 

私はその後も、

ことあるごとにチャンスを見計らっては

「瑞龍寺」をたずねています。

 

そしていつたずねても、

法堂に足を入れたとたん、

何故か熱いものがこみあげてきて、

涙がほろほろと流れてきます。

 

そこには、

「生死を越えて何事も恐れることはない」と

思えるような絶対的な安心感と、

包み込むような温かな空間が

人をむかえ入れてくれるのです。

 

 

それは、今、ここにあるだけで十分・・

という満たされた思いです。

 

 

人の人生も人との出会いで左右されるように

仏様との縁も同じです。

 

 

 

願って叶うものではないかもしれませんが、

みなさんにも、どうぞ人生を変えるような、

魂と感応するような神仏との出会いがあることを

心から祈らせて頂きます。

 

 

 

天気が不順な毎日です。

お体、どうぞ大切になさってくださいね。

またお電話お待ちしております。

 

電話占いアクシア朱龍でした。

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